貧乏な家庭で育った芸能人20選(セレブになった芸能人)

芸能人の中には、経済的に苦しい環境で育ったことをバネにしてのし上がっていった人が多数います。そんな有名人を20人紹介します。

三宅健

V6のメンバーである三宅健。

ジャニーズへ履歴書を送ってのは親戚だと言われています。

また、当時、履歴書をみたジャニー喜多川氏が直に電話でスカウトしてきたという逸話の持ち主。

幼い頃に父親を鉄道事故で失い母親が、女で1つで弟と三宅健を育ててきました。

三宅健は子供の頃体が弱かったこともあり、母親には苦労と心配をかけたと語っています。

母親を助けるために幼い頃より、新聞配達をするなど、三宅健もかなりの苦労人。

ジャニーズ事務所に入ったのも、芸能人になって母親に楽をさせてあげたいとう思いからでした。

2010年に三宅健の成功を見届けるかのように母親は癌で他界しています。

横山裕

関ジャニ∞のメンバーの1人であり、俳優やバラエティー番組でMCを務めるなど多彩な芸能活動を繰り広げている横山裕。

画面から伝わる明るい雰囲気とは裏腹に、生い立ちは壮絶です。

もともと裕福な家庭に生まれた横山裕ですが、母親が離婚。

シングルで育てることに限界を感じた母親は実家に横山裕を預けました。

一時、祖父母に育てられますが、祖父の他界で、再婚した母親に引き取られます。

再婚した母親には、再婚相手との間に2人子供がいました。

横山裕の弟です。

父親は、自分の子供には虐待をしませんでしたが、横山裕への虐待は続きました。

中学を卒業すると、父親は、横山裕を高校に進学させることはさせず、働いて稼ぐよう命じました。

母親が再婚しても泣いている姿を目にしていたことから、横山裕は、自立をめざして、建設会社へ就職。

一時はジャニーズと建設会社勤務を兼ねていました。

母親はその後、再婚相手の父親と離婚しました。

が、横山裕が関ジャニ∞で活躍するようになった矢先、出先で突如倒れ、帰らぬ人となっています。

弟思いの兄であることで有名です。

安室奈美恵

2018年に惜しまれつつ芸能界を引退した安室奈美恵。

彼女の祖母は米軍基地で働き、安室奈美恵の母親である安室奈美恵の母親、恵美子さんを身ごもりました。

当時、那覇では外国人が歩いている姿は珍しく、ハーフだった恵美子さんは常に好奇の目にさらされていました。

恵美子さんは、その後、地元の男性と結婚し、安室奈美恵が誕生。

しかし、安室奈美恵が誕生した頃には夫婦仲は冷え切っており、気性の激しい両親の派手な喧嘩に怯える幼少期を過ごしています。

安室奈美恵が4歳の時に両親が離婚。

実家に頼る事ができなかった母親は3人の子供を抱え夜の仕事を掛け持ちしながら働きますが、生活は相当厳しかったようです。

母親の経済的な苦労を目の当たりにし、幼い頃から、我慢を身に着けた安室奈美恵。

スターになっても、物欲がなく、ある時は、洋服1つ迷って買えなかった、彼女に社長が、お金を立て替えて購入を促したという逸話は有名です。

安室奈美恵が「アクターズスクール」に通うようになったのは、小学校4年の頃から。

月謝はかからない特待生扱いでしたが、通学するための交通費が捻出できず、週3回のレッスンには、3時間かけて歩いて通っていました。

「アクターズスクール」に入学して3か月で安室奈美恵はスクールに内緒で応募したカラオケ大会で優勝。

その優勝を機に「スーパ―モンキーズ」が結成され、定期公演のレッスンが加わり、中学校へは通えなくなります。

東京と沖縄の往復も増え、中3の時、家出同然で安室奈美恵は上京。

沖縄から上京する時に引き留めた母親に「絶対成功するから」と強い意志表示をした安室奈美恵。

壮絶な生い立ちをバネに苦労と努力で歌姫としての成功を掴み、40歳できっぱり芸能界を引退しました。

有村架純

両親は、有村架純が小4の頃に既に別居。

中学生になった時に離婚しています。

両親が別居生活を始めた頃より、経済的には苦しい生活を強いられていたようです。

高校生の時には、週に6日のアルバイトをこなして母親を支えていました。

2歳年上の姉である有村藍里が当時、新井ゆうこ名でグラビアアイドルとして活動していました。

姉の影響もあり、中学生の頃から、芸能界に関心は持っていたようです。

高校生の時に女優を目指し、憧れの女優、戸田恵梨香が所属するフラームのオーデションをうけますが、落選。

方言を直し、ダイエットを成功させ、晴れてフラームの所属女優となります。

女優に専念するため、地元の高校を中退し上京。

経済的な余裕もなかったため、上京してから新たな高校へ転向する事も、大学へ進学する事もしませんでした。

NHK朝のテレビ小説「あまちゃん」や「ひよっこ」でブレイクを果たし現在に至っています。

上戸彩

見かけによらず、男勝りだと言われている上戸彩。

兄が2人おり長男とは16歳もの歳の差があるため、非常にかわいがられて育ちました。

両親が、離婚し上戸彩と兄達は、母親と暮らすことになります。

母親の収入がほとんどない中での生活は、大変厳しい物でした。

芸能界へデビュー後もしばらくは、少ない彼女の収入で母親と次男と3人で生活しており、生活が潤う事は無かったようです。

団地住まいだった上戸彩はデビュー前から母に家をプレゼントをすると志を抱いていました。

今や、CM女王と謳われ、EXILEのHIROとも結婚。

2人の子供にも恵まれ、セレブな生活を送っています。

石橋貴明

石橋貴明生誕時は、父親が社長をしていました。

しかし、父親の経営していた会社は倒産。

父親も、体調を崩し、働けない時期は、母親が、父親に代わり働いて家計を支えていました。

そんな母親の苦労を知りながら、父親がある日突然蒸発。

小学4年生から、高校まで、風呂無しの小さなアパートで石橋は母親と兄弟の4人暮らしを強いられました。

石橋貴明の前から蒸発と言う形で去った父親。

そんな父親でも、石橋には「自分の人生は自分で責任を取れ」と常に言い続けていたようです。

石橋貴明は、父親の教訓を胸に、今の地位を築いたと言えます。

浜崎あゆみ

エイベックス社長、松浦勝人の恋愛を描いた『M愛すべき人がいてが現在、話題になっている浜崎あゆみ。

彼女のデビュー前の貧しさは、同小説でも描かれています。

浜崎あゆみの祖父は戦後朝鮮から、日本へ渡ってきた移住民でした。

当時、朝鮮からの移住者は酷い差別を受けており、生活も極貧だったと言われています。

父親は、のちに浜崎あゆみと母を残して蒸発。

父親が朝鮮人であったことから、幼い頃から学校でも壮絶ないじめにあって来たようです。

さらには、朝鮮移民が住む、特殊な部落で過ごしていたため、周囲の大人の目も非常に冷たかったようです。

そんなこともあり、中学では非行に走った浜崎あゆみ。

しかし、学校から、非行行為で電話が来ても、母親は理由をつけては面談を拒み通したようです。

浜崎あゆみと母親との関係は決して悪くなかったようですが、浜崎あゆみを祖母に預け、自ら子育てにかかわる事は少なかったようです。

育児放棄をしていたという声もありますが、浜崎あゆみはそれを否定しています。

2019年に極秘出産し、世間を驚かせた浜崎あゆみ。

現在は、母親と一緒に生活しているのではないかと囁かれています。

森口博子

両親が、小学校2年生の時に離婚。

母親は、4人の娘を女で1つで育てます。

母親は夜昼関係なく働いて4人の娘を育てますが、住まいは6畳二間のボロアパート。

歩くだけも床が抜けてしまいそうな部屋だったようです。

当時から、歌好きだった森口博子。

母親から、振り付けが激しいピンクレディーや山本リンダの曲は歌わないよう禁止されていました。

住まいがあまりにも古かったため、友人にも自分の家の事を明かすことができなかっ子供時代を過ごしています。

転機は、7歳の時からスカウトされて始めたモデル。

17歳でアイドルオーデションに合格して上京。

芸能界で芽が出ない不遇の時代を経てバラドルに転身。

体当たりの仕事ぶりが功を奏し、母親に3LDKのマンションをプレゼントできるまでにブレイク。

今に至っています。

菅野美穂

特に貧しい家庭ではない家庭で育ったといえそうです。

父親は、サラリーマン。

母親はパート勤務をしています。

貧しい家庭と言われてしまった由縁は、菅野美穂の父親が開業医ではないかと噂されたことからでした。

2013年に俳優の堺雅人と結婚。

売れっ子俳優と、女優の結婚は当初話題になりました。

2人の私生活は売れっ子同士でありながら非常に質素な物だと言われています。

城島茂

父親が、詐欺事件にかかわり逮捕されたことをきっかけに、両親は離婚しました。

城島茂の母親は、19歳で彼を出産しています。

母親もかなりヤンチャな人だったのではないかと言われています。

父親の逮捕で大阪へ移りますが、中学生だった城島茂は不登校が続きました。

父親の逮捕と、母親が懸命に働くものの食べる物にも困る生活は、思春期だった城島茂にとって大きな精神的な負担だったようです。

高校生の時にそんな生活から逃げたい一心で、自らジャニーズへ応募し。

見事ジャニーズ事務所への入所を果たしました。

50代になった今も、アイドル最前線で活躍中の城島茂。

私生活では、結婚し一児のパパとなっています。

アンミカ

アンミカは、韓国の済州島出身です。

兄弟が5人と両親の7人という大家族。

両親はアンミカが3歳の時に日本移住を決意。

大阪にやってきました。

日本語もままならない状況下で家族の生活は、貧困を極めました。

深夜に廃棄となった果物や野菜を拾いに行って飢えをしのぐ事もあったようです。

アンミカも小学生から7年間新聞配達をして、家族を支えました。

母親は、アンミカが中3の時、父親も2001年、アンミカがモデルとして活躍を始めた年に亡くなっています。

壮絶な生い立ちをものともせずに明るく凛とした生き様を魅せるアンミカ。

若者達を中心に共鳴する人々のカリスマ的な存在となっています。

風間トオル

5歳の頃に両親の離婚。

壮絶な幼少期を過ごしてきたことで有名な風間トオル。

父親に引き取られるものの、その父親が蒸発。

認知症の祖父とギャンブル好きな祖母に預けられます。

働き手だった父親の蒸発により、祖父母と風間トオルの生活は困窮。

道端の草や昆虫を食した事もあったようです。

お風呂がなかったため、作動中の洗濯機に服を着たまま入ると言う危険な行為も。

学校では、欠席者の牛乳を飲むためにそのチェックをして回る事もあったとか。

そんな中1983年に男性ファション誌『メンズノンノ』で読者モデルに選ばれたことをきっかけにモデルデビューを果たしました。

イケメン正統派モデルとして注目され、1989年浅野ゆう子主演ドラマ「ハートに火をつけて」で俳優デビューを果たすと同時に大ブレイク。

現在に至って居ます。

中居正広

SMAP解散後もさまざまな番組MCで活躍。

億万長者とも囁かれている中居正広も、貧しい少年時代を過ごしています。

家族5人で天井の低い2DKで暮らしは、かなり圧迫感のある暮らしだったようです。

経済的にも大変だったのか、お風呂は週に2回。

夏場はプールがお風呂代わりになっていたと言います。

小学生の頃、中居正広は両親の離婚を経験。

彼を引き取ったのは父親。

3人の子供を育てながら働く父親との生活。

ご飯も、バターをのせて醤油をかけて食べる。

カルビはお菓子だと思っていたなど、貧しかった食生活を者語っています。

2020年に闘病していた父親を最期まで看取りました。

現在、ジャニーズを退所し、フリーで活躍中。

広瀬すず

父親は、会社を経営していました。

しかし、広瀬すずが12歳の時、経営に失敗。

倒産します。

更には父親も、脳卒中で倒れるという悲劇が。

幸い命は取りとめたようですが、体に麻痺が残りました。

倒産した会社には莫大な借金が残り、土地も家も手放す羽目に。

広瀬すずが、seventeenに応募したのも、家庭の貧困を救いたい一心からだったと言われています。

2018年に、無職の兄が飲酒運転による交通事故で逮捕されました。

この不祥事で、広瀬すずは、共に芸能界で、活躍する姉の広瀬アリスと謝罪しています。

この事件以降は、プライベートに関するガードは強くなっているようです。

家族の話題が出てこないのは、触れて欲しくない問題が多いからだと囁かれています。

二階堂ふみ

12歳でスカウトされ、15歳で沖縄から一人で上京してきた二階堂ふみ。

沖縄生まれの二階堂ふみは、ひとりっこ。

両親の離婚で母親に育てられています。

沖縄での母との生活が貧しかったのかは、語られておりませんの詳細は不明です。

上京後、高校時代は貧しくてお米も買えず芋を買い込んで主食にしていた。

遊びに来る友達に入場料と言う名目でお米を持ってきてもらっていた。

と、ブレイクする前に経験した、貧しい生活の様子を、バラエティー番組などで語ったことから、貧乏な芸能人として名前が挙がるようになったようです。

今や、実力派女優の1人として名高い二階堂ふみのハングリーな一面を物語るエピソードだと言われています。

東山紀之

ジャニーズ事務所の大御所の1人と言われている東山紀之。

2010年に女優の木村佳乃と結婚、2人の娘にも恵まれ、セレブな生活を送っています。

東山紀之は、ジャニーズに入るまでの壮絶な少年時代を2010年に出版した自書伝『カワサキキッド』で語っています。

東山紀之の両親は彼が3歳の時に離婚。

離婚の原因は父親のギャンブルにあったようです。

離婚後は、母親に引き取られました。

母親との生活は、裕福なものとはとても言えないものだったようです。

小学6年生の時、直接ジャニー喜多川にスカウトされ、ジャニーズに入所し、芸能界で活躍し、現在に至っています。

滝沢秀明

2018年に惜しまれつつ芸能界を引退し、ジャニー喜多川の後を継ぐべく、アイドルの後継者を育てる道を選んだ滝沢秀明。

両親の離婚ににより、消しゴム1つ購入できないような極貧の幼少時代を過ごしています。

小学生の頃から、苦労して働く母親を助けるために何ができるか真剣に考えるような子供だったようです。

滝沢秀明がジャニーズ事務所に入所したのは、中学生の頃でした。

滝沢秀明の生い立ちを知ったジャニー喜多川は、何かと滝沢秀明に心を砕いたようです。

父親から愛情を受けた事が無かった滝沢秀明にとって、ジャニー喜多川は父親のような存在だったと言います。

ジャニー喜多川亡き後、後輩の育成に頑張る滝沢秀明の姿が、今も話題になっています。

緑川静香

2006年に後藤静香の芸名で芸能界デビュー。

その後、望月うららと改名を経て現在の緑川静香となりました。

緑川静香を有名にしたのは、2015年に放映された「セレブとビンボー」。

その中での食レポでした。

5歳の時に父親が蒸発。

母子家庭で育った緑川静香は、住まいはねずみが走りまわるような物置小屋、お風呂は月1回。

公園に生えている草を食べ、御馳走と言えばスーパーの試食だったと語っています。

同番組での食レポが、壮絶な貧乏時代を物語り、あまりにもピュアだったため、貧困女優としてのキャラクターが定着しました。

リアル鬼ごっこ」「恋に落ちたギャルソン」など、話題作に出演するようになり女優としての活躍も目立ってきています。

サンシャイン池崎

実家は、タバコの葉の栽培農家でした。

父親の火の不始末による2度の火災で工場や自宅を焼失。

父親は大工仕事をする「池崎組」を起業します。

が、失敗。

倒産してしまったことから、家族は極貧の生活を強いられるようになりました。

サンシャイン池崎は大学へ進学し、家からの仕送りがない間は、さまざまなアルバイトで月80万程を捻出。

お笑い芸人を目指しました。

15年程、売れることなくアルバイトで生計を立ててきたようです。

現在のように仕事ができるようになったサンシャイン池崎。

母親へ仕送りをするようになったと言います。

しかし、母親は、芸人はいつ売れなくなるかわからないと、彼からの仕送りには手を付けず、相変わらずつつましい生活をされているようです。

ローラ

最近、ハリウッドデビューを果たしたローラ。

ハリウッドでの活躍は順調。

今までのように日本のバラエティー番組には登場しなくなりました。

すっかりセレブになったローラですが、その生い立ちは苦労の連続だったようです。

ローラの父親は、バングラディシュ人。

小1の頃両親が離婚し、ローラは父親に育てられます。

父親の再婚で、ローラは、腹違いの双子の弟と実弟との4人兄弟の姉となりました。

9歳で日本に帰国。

幼い頃は、長女として弟達の世話に追われ、高校時代は、苦しい家計を助けるためホームセンターでアルバイトに励みました。

渋谷でスカウトされ、モデルとして活動し始めたのちも、義理の母親と、弟、義理の母方の両親まで、大黒柱として支えていたようです。

モデルを始めたきっかけも「父親に楽をさせてあげたい」と言う思いからでした。

そんなローラの思いを無視するかのように、2013年に父親は詐欺事件を起こして逮捕されています。

父親の犯罪にもローラは真摯に頭を下げていました。

頑張ってきたかいもあり、第一線でローラは頑張っています。

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