堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

2022年にデビュー25周年を迎えたKinKi Kidsの堂本剛。

25周年を機にCDのリリースやライブ、TV番組、CMにとますます精力的に活動されていますよね。

また、個人としても地元でライブを行ったりと、音楽活動に一際力を注いでいる印象です。

今回は、そんな堂本剛の地元や家族にまつわるエピソードについて調べてみました。

堂本剛の地元はどこ?

堂本剛は奈良県奈良市の出身で、1983年に西大寺幼稚園に入園1986年に奈良市立西大寺北小学校に入学していることから、敷島町に実家があり、近鉄奈良線の菖蒲池駅周辺に住んでいたと言われています。

その後、奈良市立平城中学校に入学しますが、1991年5月5日にジャニーさんに招待され、光GENJIのコンサートを観に行ったことをきっかけにジャニーズ事務所に入所し、中学校に通いながら仕事のたびに新幹線で奈良と東京を往復していました。

中学2年生の10月に上京し、上京後は堂本光一や長瀬智也、井ノ原快彦などとともに事務所の合宿所に住んでいて、岡田准一と同じ部屋で生活していたこともあるそうです。

東京では、堂本光一や岡田准一と同じ港区立三河台中学校に転校しています。

実家はお金持ち?

堂本剛の実家を調べてみると、お金持ちではないかとの噂があります。

その理由は、過去に実家について堂本剛が話していた内容からでした。

「子供の頃帰ったら庭に滝ができていた」

また、マイケル・ジョーダンに憧れてバスケットボール部に入った堂本剛のために、両親が「自宅の庭にバスケットゴールを作ってくれて毎日練習した

「庭にバスケットリングがあったが、芝生が傷むと母親に言われて庭でバスケットができなかった」

これらの発言から、実家にはかなり広い庭のあるとファンに推測されたようです。

実際に実家の様子が明らかになった訳ではないので、お金持ちなのかどうか本当のところはわかっていません。

堂本剛の奈良愛

家族と離れて14歳で上京し、芸能活動にも慣れた頃に苦しくてたまらなくなり、気づくと故郷の大極殿跡に立っていたことがあるという堂本剛は、そこでゆったりと流れる奈良の時間や、古代から息づく歴史と文化に改めて触れて心が癒されたそうです。

それまで周囲の期待に応えようと迷走していた自身の弱さに気づいたと同時に、故郷である奈良はすごいところだと感じたといいます。

そんなこともあり、堂本剛が故郷の奈良をこよなく愛していることはよく知られていて、2008年からは奈良の特別観光大使を務めています。

2005年の冬に始動させたプロジェクト『ENDLICHERI☆ENDLICHERI』のアルバム名が「Neo Africa Rainbow Ax」「奈良」の意味を持つ言葉が織り込まれていたり、なら100年会館をはじめとして薬師寺、国営飛鳥歴史公園、東大寺でもライブを行っています。

また、『堂本剛の正直しんどい』や『堂本剛のココロ見』など番組の企画で奈良に帰った際には、「奈良は自分の原点」「子どもができたら奈良で子育てしたい」など地元愛にあふれた発言も多く見られます。

そんな発言を見た奈良市の市長が堂本剛に母子手帳のデザインを依頼し、現在も発行されています。

奈良には今も実家があり、堂本剛もよく帰っているそうで、行きつけのお店などをTV番組などで紹介しています。

  • カナカナ

奈良町の古民家カフェで『堂本剛の正直しんどい』で紹介されました。

堂本剛が奈良に帰って来た時には時々寄っているそうです。

手挽きで手打ちのお蕎麦が食べられるお店で、堂本剛が友達と訪れた際に罰ゲームで考案し、命名した日本酒にわさびを混ぜたオリジナルメニュー「和再美(わさび)」もあるそうです。

  • Zu-Ro design(ズーロデザイン)

パワーストーンを使ったアクセサリーが人気で、堂本剛が付けているブレスレットは「堂本剛デザイン」として販売されています。

地元の企業CMに出演

KinKi Kidsがデビュー25周年を記念して、25円で企業CMに出演するという「キンキ25円でCM出演」の企画で、1000件以上の企業から応募が殺到する中、温泉テーマパーク「天然大和温泉 奈良健康ランド 奈良プラザホテル」を堂本剛が引き当てました。

堂本剛自身にとっても思い入れある場所だったようで、「僕はもうやっぱり奈良人なんやな」「めちゃくちゃ持ってる」とガッツポーズで喜んでいました。

堂本剛の家族構成

堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

堂本剛は、父親と母親、6歳上の姉の4人家族です。

家族・名前 職業 年齢
父親・光久 会社社長 不明
母親・陽子 不明 不明
姉・希美 ファッションブランド経営 49歳

「剛」の名前には、「強い子に育つように」という想いが込められていて、子どもの頃はおじいちゃん子で、平城宮跡の野原でよく遊んでいたそうです。

現在は亡くなられていますが、祖父が生前入院していた頃は、どんなに仕事が忙しい時期でも暇を見つけてはお見舞いに行っていたと明かしていました。

子役時代

堂本剛は小学校時代、「堂本直広」という芸名で大阪にある『劇団アカデミー』に所属し、舞台やドラマ、CMなどに出演していました。

北島三郎の舞台では親子役で共演したり、関西ローカルでやっていた『ダウンタウン物語』などの番組に出ています。

ちなみに「直宏」という芸名は、姉の初恋の人の名前から付けたそうです。

中学受験を考えていたため、学業に専念するために子役活動は小学5年生で辞めています。

堂本剛の父親

堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

堂本剛の父親は光久さんという名前ですが、年齢についてはわかっていません。

職業についてもくわしくわかっていませんが、2013年6月に放送されたラジオ『Fashion&MusicBook』で堂本剛が父親について次のように話していました。

「父親は社長とかやって、自分にいろいろああだこうだ言ってくる」

「上に立つと嫌われ役にならないといけないこともある」

「昔教師とかもやっていたから考え方が非常に固い」

どんな職種の会社かはわかっていませんが、会社の社長であることと教師をしていた経験があることはわかっています。

さらに、父親との関係については「お父さんは思っていることをあまり言わないし、お父さんからも聞いてくることはないので話す機会もあまりない」

「遠慮している訳ではなく、もうそういう人なのであまり聞かない」

と言うように寡黙なお父さんですが、現在では一緒にゴルフを楽しむほど仲はいいようです。

しかし、ある時期から堂本剛が父親の話をしなくなったことから、両親が離婚したのではないかという憶測が飛び交っていますが真相はわかっていません。

もしかしたら自分の発言で、家族のプライベートについて詮索されるのを避けるためなのかもしれませんね。

堂本剛の母親

堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

堂本剛の母親は陽子さんという名前だそうですが、年齢や職業については明らかになっていません。

子どもの頃からお母さんとは何でも話せる仲だったそうで、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組などでたびたびお母さんについての話をしています。

陽子さんはとても美人という噂ですが、堂本剛も人から「お母さん美人でしょう」と聞かれると「まあそうですね」と答えるほど自慢のお母さんのようです。

根性の出産エピソード

堂本剛の誕生日は1979年4月10日ですが、この誕生日には驚きのエピソードがありました。

元々堂本剛の出産予定日は4月9日でした。

しかし、陽子さんは「4(死)と9(苦)」では縁起が悪い」と思い、息子のために予定通り9日に始まった陣痛に耐えながら、「まだ生まれないで」と話しかけながら出産日を自力でずらしたそうです。

そのかいあって、夜中の0時を回って10日になったところで本格的に産気づき、明け方に3,150gの元気な体で生まれました。

想像できないほど大きな母の愛ですよね。

ファンに声をかける

堂本剛の母親は、自分の思っていることをすぐに言葉にするそうで、KinKi Kidsのコンサート会場で、ファンに声をかけたというエピソードが残っています。

その時は「いつもうちの息子をありがとうございます」と声をかけたのだそうですが、息子を応援してくれるファンに思わず感謝を伝えたくなったのかもしれませんね。

まだ見ぬ孫へのプレゼント


ある日、ミニカーを見つけた堂本剛はお母さんに「これ何?」と聞いたところ、「あんたがいつ結婚するかわからない。お母さんが天に昇った後にもしかしたら結婚するかもしれないから、その時にお母さんからプレゼントできるものを買っておいた」と言われたそうです。

ミニカーは、まだ見ぬ孫へのおばあちゃんからのプレゼントでした。

自分がこの世を去った後のことまで考えていて、とても愛情深いお母さんですよね。

お母さんの手作り弁当


2022年11月5日に放送されたラジオ『堂本剛とFashion&Music Book』で、堂本剛が「お母さんが作ってくれるお弁当が美味しかってん。5年前くらいになるけど、お母さんにわざとお弁当作ってもらっていた」と明かしていました。

仕事の現場にはお弁当が用意されているのですが、自身の身体のことも考えて、「時間のある時にお弁当を作ってほしい」とお願いして、お母さんの手作り弁当を持って行っていたそうです。

また、お母さんが作ってくれたご飯をあとどのくらい食べられるのかなとも思ったという理由もあったと話していました。

お母さんの手料理はとてもおいしいのでしょうね。

記念日への想い


2019年5月12日に放送された『堂本剛とFashion&Music Book』では「母の日」をテーマにお母さんへの愛を語っています。

母の日などの記念日には物をプレゼントするけれども、それ以上に一緒にご飯を食べるなど、一緒の時間を過ごすことに重きをおいていると話していました。

また、子どもの頃から仕事などで記念日当日に祝うことがなかなか難しかったこともあったが、そういう時は日にちにこだわらずお母さんへの感謝の時間を過ごしているそうです。

また、そういう大切な人の記念日には「仕事を休むといった法律があってもいいのにな」と明かし、たくさんのリスナーの共感を得ていました。

堂本剛の姉

堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

堂本剛の6歳上の姉は希美さんというそうで、姉弟の仲は良くケンカをしたことがないそうです。

希美さんは、和風テイストのファッションブランド『hifumiyo』を経営していて、堂本剛の衣装はhifumiyoが提供しているものもあります。

hifumiyo

個性的なファッションが光っている堂本剛ですが、hifumiyoの衣装を着てメディアに出ている姿も見られます。

また、堂本剛が映画『銀魂』で高杉晋作を演じた際には、銀魂大好きという希美さんに「着物を着た時に華奢に見えるように胸の肉を落としなさい」と具体的なアドバイスをもらい役作りをしたそうです。

ジャニーズ入りは母と姉がきっかけ

堂本剛が小学6年生の時に、光GENJIの諸星和己のファンだった希美さんが本人に内緒でジャニーズ事務所に履歴書を送りました。

その履歴書がジャニーさんの目に留まり、光GENJIのコンサートに招待されます。

しかし、バスケットボールに夢中で中学受験も考えていた堂本剛は、ジャニーズに入るつもりはなく、母親に「断るにしても自分の口で言いなさい」と連れて行かれたコンサートで堂本光一と出会いました。

そしてジャニーさんから「2、3日預からせてほしい」と言われ、堂本光一とコンサート後にホテルに泊まり、一緒にテレビを見て過ごしたりしてジャニーズ入りを決めています。

堂本剛の今日の活躍のきっかけを作った希美さんは、現在結婚されているそうですが、子どもの有無については情報がありませんでした。

堂本剛の自宅はどこ?

堂本剛の自宅は渋谷区にある高級タワーマンションだと噂されています。

噂が出たきっかけは、2011年7月の『週刊文春』に掲載された記事で、ジャニーズ事務所が渋谷区にある高級タワーマンションの最上階2部屋を含む4部屋を購入したという内容でした。

そこにはジャニーさんや若いジャニーズのタレントが住んでいて、そのうちの1部屋をジャニーさんのスぺオキ(スペシャルオキ二の略)の堂本剛が譲り受けたとも書かれていました

さらに2011年8月17日にジャニーさんの自宅に男が立て籠った事件を掲載した『サイゾーウーマン』の記事には、ジャニーさんの所有するマンションは三井不動産の手掛けるパークタワーシリーズの中でも最高傑作」とあったことから、「青山パークタワー」の名前が挙がりました。

最上階である34階の2部屋のうち1部屋がジャニーさんのプライベートスペースで、堂本剛はその下の33階の1部屋に住んでいるようです。

33階は3LDKとかなり広めの間取りで、堂本剛が購入したと言われているる約20年前で1億5,000円という価格がついていました。

広々とした約57畳のリビングなど、一人で住むには十分すぎるほどの広さですよね。

赤坂にもマンションを保有?


渋谷のタワーマンションに住んでいる堂本剛ですが、2011年7月に赤坂の新築マンションを購入したと報道されたことがありました。

記事は、1998年に完成した高級マンションを、堂本剛が2年ローンで完済したという内容でした。

実際に購入したのか、住んでいるのかは明らかになっていないので真実はわかりませんが、投資目的で不動産を所有する芸能人も増えているので、もしかしたらそういった可能性もあるかもしれませんね。

熱帯魚を飼っている

堂本剛は、大の愛犬家であることはファンにもよく知られていて、19歳のときにはミニチュアダックスの「ケンシロウ」と一緒に暮らしはじめました。

その後、2015年4月11日に亡くなるまで17年間一緒に暮らしています。

また、2000年頃からは同じくミニチュアダックスの「タイソン」も一緒に生活していましたが、このタイソンも2017年9月頃に亡くなりました。

そして、堂本剛は熱帯魚も大好きでラジオでも話題にあげていますが、自宅では大型魚や熱帯魚などを複数飼っているようです。

まとめ

堂本剛の家族・兄弟エピソードまとめ!

今回は、KinKi Kidsの堂本剛の地元や家族とのエピソードについて紹介しました。

地元の奈良に対する郷土愛、おじいちゃんやお母さんを大切にしている家族愛と、堂本剛はとにかく愛に溢れている方でしたね。

中学生になってすぐに親元を離れて上京していますが、そういった経験があるからこそ自分の大切なものに対しての想いが強いのかもしれません。

また、相方である堂本光一とは運命の出会いから30年以上経ち、今もなお抜群の仲の良さ、チームワークの良さを見せています。

そんな堂本剛やKinKi Kidsの歳を重ねたこれからの活躍を期待したいですね。

コメント