今回は佐々木朗の実家・家族構成についてまとめました。
佐々木朗の家族構成
佐々木朗希選手は父、母、兄、弟の5人家族になります。しかし、父・功太さんは東日本大震災の津波によって亡くなってしまいました。
家族情報 | 名前 |
父親 | 佐々木功太 |
母親 | 佐々木陽子 |
長男 | 佐々木琉希 |
次男 | 佐々木朗希 |
三男 | 佐々木怜希 |
佐々木朗の父親
佐々木朗希選手の父・功太さんは東日本大震災の津波により、若くして亡くなってしまいました。
生前は葬儀屋をしていたそうです。
夏祭りなどの町内会の仕事を率先してこなすなど、人望が厚く、地元の人にも愛される人だったようです。
子ども達とキャッチボール
佐々木朗希はいいよね。
どこかで、自分の人生で一番幸せだったのは、父や兄とキャッチボールをしていた小学生の頃って言ってたらしいね。
こういうやつは好きだよ。
これから山ほど、屑みたいな連中が近づいて誘惑してくるだろうけどさ。
その頃の気持ちを忘れずに頑張ってくれよ。
— sleepysnoopy(柚野原 倫 ゆのはら りん) (@littlefield1988) November 25, 2023
功太さん自身は野球経験はなかったものの、スポーツが好きで、子ども達とよくキャッチボールをしていました。
功太さんがキャッチャーをやり、兄・琉希さんと佐々木朗希選手が投げ込んでいたそうです。
佐々木朗の母親
母・陽子さんは保険の営業の仕事をしていたそうで1人で子どもを3人も育てるのは大変だったと思います。
教育方法は基本的には放任主義で、子どもの意思を尊重することを大切にしていたようです。
また、どんなスポーツをするのにも有利なると思い、身長を伸ばすことために「早寝」を実践したようです。その結果なのか、佐々木朗希選手の身長は192cmとかなりの高身長です。
バーキン愛用者?
佐々木朗希の母親ってこんなに美人だったんだ( ゚Д゚) pic.twitter.com/5mF22ftBzT
— 気軽なトレンドニュース♪ (@zsBCGdZyobcwqV4) January 31, 2023
令和の怪物として入団前から注目を集めることが多かった佐々木朗希選手ですが、陽子さんもあることで注目を集めました。
それは2019年の秋に行なわれた、佐々木朗希選手の千葉ロッテマリーンズ入団交渉の時でした。
その際に同行していた陽子さんのカバンが「バーキン」ではないかということで注目を集めました。
「バーキン」と言えば、多くの方が知っている超高級カバンで価格はモノによりますが、大体100万円を超えます。大事な入団交渉ということで勝負カバンだったかもしれません!
写ったのは一瞬だったこともあり確実に本物であるとは言えません。
陽子さんは保険の営業マンとしてバリバリ働いていたので、持っていてもおかしくありませんよね!
ウィニングボールをプレゼントされた
佐々木朗希ヒーローインタビュー
Q「プロ初勝利のウイニングボールはどうされる予定ですか?」
朗希「両親に渡したいと思います。」
泣ける。 pic.twitter.com/pqTtKgpQiU— マリーンズ応援宣言 (@forever_marines) May 27, 2021
佐々木朗希選手がプロ初勝利の際のインタビューを見たときには感動したそうです。
インタビュアーにウィニングボールはどうするのか聞かれた、佐々木朗希選手は「両親にプレゼントします」と答えました。
「母」にではなく、「両親」と言ってくれたことが嬉しかったそうです。このコメントから佐々木朗希選手の思いが伝わってきますね!
タオルハンカチをプレゼント
佐々木朗希投手の逸話が泣ける
小3時の東日本大震災で父と祖父母を失う
小4の母の日に100円ショップでタオルハンカチを購入
小5の時は母の誕生日に隠していたロールケーキをサプライズプレゼント
プロ初勝利を挙げた時にウィニングボールを誰に渡すかと問われ「両親に渡したいと思います」と即答— とりTOEICがんばる (@JustAbirdEIGO) March 20, 2023
佐々木朗希選手が小学4年生の時に陽子さんに100円ショップのタオルハンカチをプレゼントしたそうです。
小学生ながら、100円ショップのタオルハンカチとは母親にプレゼントするなんて母親想いですね!
このプレゼントを渡すときは、100円だから喜んでくれないと想っていたそうですが、陽子さんは凄く喜んでくれた出そうです。
やはり、プレゼントする時に大切なのは値段ではなく気持ちが大切ですね。
佐々木朗希の兄
兄・琉希さんは佐々木朗希選手の3歳年上です。
琉希さんは小学3年生の頃から野球を始めており、ポジションは佐々木朗希選手と同じピッチャーでした。
高校は佐々木朗希選手も通っていた、県立大船渡高校に通っていました。もちろん、野球部に所属し4番打者を務めるほどの実力を誇っていました。
高校卒業後は東北学院大学に進学しました。大学卒業後は広告代理店で働いています。
「朗希」と名付けたのは兄
弱冠20歳で偉業を成し遂げた佐々木 朗希君。変わった名前だなと思って調べたら、本人が誕生した2001年に放送されていた特撮ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』に登場してたダークヒーロー「狼鬼」(ロウキ)に由来するもので、当時番組に夢中だった3歳年上のお兄ちゃんの発案で命名されたらしい。 pic.twitter.com/jvOd0ViMdt
— Green Pepper (@r2d2c3poacco) April 11, 2022
実は佐々木朗希選手の「朗希」という名前を提案したのは琉希さんでした。
なぜ「朗希」という名前にしたのかというと、当時、大人気だった特撮ドラマ「百獣戦隊ガオレンジャー」に登場する「狼鬼」から名前を取ったそうです。
佐々木朗希の弟
弟・怜希さんは佐々木朗希選手の4歳年下になります。
高校は佐々木朗希選手達と同じ、県立大船渡高校に在学し、ポジションはピッチャーになります。
高校1年生の時にはショートとして、スタメンに定着し、2年生の秋から投手に挑戦しました。
残念ながら、3年生としての最後の夏は岩手県大会の3回戦で負けてしまいました。
進路は東都大学リーグに参戦している、中央大学に進学することが決まりました。
今後の目標は「日本一のピッチャー」になることだそうです。
憧れの選手
怜希さんの憧れの選手は佐々木朗希選手かと思いきやそうではないみたいです。
来シーズン、メジャーリーグに挑戦し、ロサンゼルス・ドジャースで大谷翔平選手とチームメイトになる山本由伸選手です。
確かに、日本のエースとも言える山本由伸選手は凄くて、憧れますよね。
佐々木朗希の兄弟仲は?
佐々木朗希選手と琉希さん、怜希さんの兄弟仲はというとかなり仲がいいと思われます。
まず、琉希さんは東日本大震災で亡くなってしまった父・功太さんに代わり、佐々木朗希選手を厳しく育てました。
功太さんが亡くなわれてからは、弟たちの面倒を率先してみるようになったそうです。
自分が父に厳しく育ててもらったように、弟たちにも厳しく教育していたようです。
琉希さんは佐々木朗希選手に対して褒める事は一切なく、厳しく教育していたようです。
あまりにの厳しさに、佐々木朗希選手が弱音を吐くほどだったようです。
そんな厳しい環境にいながらも、佐々木朗希選手が野球を続けていたのは兄を超えたい、負けたくないと言う気持ちがあったからだと思います。
兄からの愛のある厳しい教育があったからこそ、今の佐々木朗希選手があるのだと思います!
弟・怜希さんは佐々木朗希選手が侍ジャパンのメンバーとして参加した、WBCチェコ戦の試合を母・陽子さんと一緒にスタジアムで観戦していました。
わざわざ、スタジアムに足を運び、兄の試合を応援し行くなんて、兄弟の仲が良くなければしませんよね!
佐々木朗の実家はどこ?
おはようございます
松島で朝日を拝んで、
佐々木朗希選手出身の陸前高田で、
奇跡の一本松を見て、あちこち、みち草しながら、
帰省中。
実家まで、あともう少し〜³₃まだつかないんかいっ
みなさま良い1日を pic.twitter.com/QUG9nni0Jy
— ૡ ✨❁ .。◌̊°.*· ˚༓◌°.*· °.* ˚◌°。:.゚ஐ⋆ (@KoberioUchan) May 4, 2023
令和の怪物と言われる佐々木朗希選手の現在の実家は岩手県大船渡市にあります。
現在、実家には母・陽子さんと弟・怜希さんが住んでいます。
佐々木朗希選手のご家族は2011年に起きた、東日本大震災の津波の被害を受けました。この津波により自宅は流され、父親と祖父母を亡くしています。
自宅が津波に流される前は岩手県陸前高田市の海の近くに自宅がありました。
2023年3月12日に放送された情熱大陸で、佐々木朗希選手は津波で流された自宅の跡地を訪れていました。
この時にはもう自宅があった場所には草しか生えていない映像が映し出されました。
自分が住んでいた家がもう無いと言う気持ちは、他の人には想像できないことだったと思います。
このつらい過去を乗り越え、家族の支えがあったからこそ令和の怪物佐々木朗希選手が誕生したのだと想います!
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